011 キタイッサカ・クラフト

キタイッサカ・クラフトというユニットをはじめた。イジャクノ絨毯とのタッグでイベント出展をどんどんやっていく予定だ。直近では9/4(土)、5(日)の金沢ハンドメイドマルシェに参加する。

…という建前にしたが、実際はマルシェ参加のためにユニットというかサークル名があったほうが良さそうだったので急遽用意した名義である。しかし結果的にはよかった。キタイッサカ・クラフトというユニット名がうまれたことで、僕の気持ちがだいぶラクになっている。


イジャクノ絨毯こと門阪くんは大学からの知人で、僕の前にキタイッサカの屋根裏部屋に住んでいた元住人である。ユニット名にキタイッサカを入れているのはまずこの接点からだ。彼は自作のテキスタイルで布地をつくっていて、それをマスクやポーチなどの雑貨にして発表している。ちょっと前から僕の絵柄で布をつくらないかという話があり、ちょっとずつ進めている。彼はわりと商売としてやっていくつもりもあり、出所がおなじ絵画科ながらアートには踏み込まない領域を探っているのも共通点だった。


そんな二人でイベント出展をやろうとなり、ユニット名として「クラフト」という単語が出たのはかなり重要であった。僕のやっていることはアートでもないしクラフトでもないが、市場としてはどちらにも片足のつま先が突っ込んでいる状態だと思う。うまくやっていくなら「私はアート作家です」「クラフト作家です」と言い切ってしまう方が正道ではあるが、実名で活動しているとそうした自称がどうも気持ち悪いし、どちらにも思い入れがないのでどこに絞るかも定まらない。そういう宙ぶらりんな状態のなか、「キタイッサカ・クラフト」という皮を被りそのように振る舞う機会がやってきたのだ。


たいした実態のない名義をひとつ挟むだけのことだけど、人が対象をどう認知するかにおいてこういう単位や粒度というのは、気持ちと活動両面において結構だいじなことだと思う。とくに僕のようなとっかえひっかえメディウムを往復するタイプの活動は、一般に「やりたいことが定まっていない、なにをしたいのかわからないやつ」みたいな見方をされるのがふつうだと思うし、そういう見られ方を気にしてしまうと手法を絞りたくなったりもする。理解されないことはよいとしても、そういう暗黙のわかりにくさは何かと息苦しい。名義やアイコンのような活動を小分けにパッケージしてくれるラベルをつけることで、部分的に「これはそういうことなので」とわかりやすく決めておくのも活動の基本だろう。いままでもそう思いながらちょうどいいラベルが見つからなかったけど、キタイッサカ・クラフトは僕の活動からクラフト(と認識されやすい)部分を切り出す助けになってくれるんじゃないかと期待している。