004 絵の表面とリソグラフ

今年に入ってからリソグラフをメインにやっている。リソグラフとはなにか、をちゃんと説明しようとすると大変なので、とりあえずここを見て欲しい。


要は特色インクによるデジタル印刷。もともとは小学校のプリントとか市役所で資料を大量に刷る目的でつくられた機械らしい。最初は黒と赤くらいしかなかったが、いろいろと魔改造されて現在のようなカラフルな印刷をおこなうようになった、らしい。リソグラフは機械の性質上、ズレ、カスレ、色移りなどが完全には防げないためそれをアジとして愛でたり、風合いのあったかさやレトロなかんじを推していくような説明が多い。ただ僕はそこに興味があってリソグラフをはじめたのではなかった。僕の興味は紙とインクの質感そのものにある。


はじめてリソグラフを生で見たときの感想は「色がキレイだなあ」だった。その後、色見本を買ってみて「やっぱ色がキレイだなああ」と思った。僕は色の扱いが苦手なので、刷られるだけで勝手に色がキレイになってくれるというのはとてもうれしい。普段からデジタルで制作、他人の絵を見るのもTwitterばかりだと、色はディスプレイ機器上での見栄えに限定される。ディスプレイはものによって色域がずれていたり、そもそも一枚の絵だけを全画面表示して見る習慣がないのでウィンドウやアプリUIとセットで見ることになり、色が常に相対的な要素にかんじる。もちろんデジタルイラストで色をすごくキレイに見せる描き手もいるけど、それこそ色の扱いに秀でているからこそできる技のように思える。そういうものと比べると、印刷すればなんかいいかんじになるというのはとても魅力的なのだ。


さらに印刷物というのはそれ自体が見応えのある物体だ。質感のいい紙に質感のいいインクがのれば、大抵それはとてもいい質感の物体になる。リソグラフは濃くインクをのせるとべったりとした肉厚な色面になる。指でこすると色が移ってしまうのは固着力の薄いインクをべったりつけているからだが、逆にそうならない一般的な印刷ではその肉厚なかんじは再現できない。


ただほとんどの人々がそんな細かな違いに注目していないのは重々承知している。多くの人は表面の質感など見ず、その奥に描かれた内容を見る。何が描かれているか、描かれたものにどんな意味があるか、それを見て自分はどう考えるか、などなど。この思考に入った人にとって絵の表面がどんな質感なのかというのは、文字通り表面的でどうでもいいことになってしまっているだろう。


僕はその表面的な部分にこそ見応えがあると思っている。紙もインクも、物質の表面がどんな状態かによっていろいろな良し悪しをかんじられる。パッと見てキレイだな、と思えたならそれでおしまいでもいいのに、と思う。その「キレイだな」がなにによって引き起こされているかを考えるだけで、それは十分鑑賞になるし、自分の好みに自信がもてるようになってくる。こういう考えはもう絵の問題ではなくて、工芸とかプロダクト、ファッションの一部に在るような気がしている。大袈裟にいえば、僕は絵を描きたいんじゃなくて「何かが描かれることによって見応えが増した物体」がつくれたらいいなと思っているのだ。